SantoStory 三都幻妖夜話
R15相当の同性愛、暴力描写、R18相当の性描写を含み、児童・中高生の閲覧に不向きです。
この物語はフィクションです。実在の事件、人物、団体、企業などと一切関係ありません。

京都編(6)

 地獄や。正直、地獄やで、この状況は。
 アキちゃんは俺をむらむらさせたまま、鬼みたいに薄情に、ぐっすりお眠りになり、いつも通り早朝に起きた。早めに目が覚めたんで、ちょっとの合間にふたりで気持ちいいことしようみたいな、そんな甘いのは当然のごとく抜きやった。
 死ぬ。
 こんなことなら、アキちゃんにホロリと来たりせず、藤堂さんのところに行っときゃよかったかと、くらっとした頭で考えた。そしたら今ごろ、あんなことや、こんなことや……。
 考えたらあかん俺。気が狂う。悶絶死やで。
 気分切り替えて、前向きに考えよ。
 だって、アキちゃん昨日も、自分から誘ってきたで。キスもしてくれた。俺が頼んだからやけど。でも一応、アキちゃんからしたで。
 それは偉大な進歩や。たとえその後が鬼みたいな生殺しでも。たとえ素っ裸の俺を抱きながら、ぐうすか寝られるという大人物っぷりでも。とにかくミリ単位での前進はしてる。
 けどこの調子で十五日までキスだけやったら、俺はつらい。腹が減ってくるで、きっと。
 アキちゃんは普通の人間よりはずっと力が強いみたいで、ただ抱き合ってるだけでも何となく力が流れ込んでくるような気がする。だからまあ、毎日一緒に寝てくれるんやったら、空きっ腹ながら死にはせんかもしれへんけど。そんなの俺が可哀想。
 何か、そういう隙はないものか。どっか、アキちゃんが、ここならまあええかって思って、気がゆるむような場所とかさ。
「今日は、俺はおかんと年始客の相手をせなあかんから、忙しい。お前の相手はしてられへんけど、ここで大人しくしてろよ。飯は誰かが持ってくるはずやから」
「アキちゃんは来えへんのか。俺ひとりで食うの」
 寒いので、俺は布団の上で仕方なく、寝間着の浴衣を肩から羽織っていた。
「悪いな。俺も一応、跡取り息子やから、暇やないねん」
 アキちゃんは悪気はないんやろけど、むっちゃ嫌みな言い方をした。天然なんやで。
 どうせ俺は暇や。浴衣も自分では着られへんし。それにお預け食って欲求不満や。あんまり俺を怒らせたら、お前んちの客を片っ端から食うぞ。それでもええんか、アキちゃん。それが嫌なんやったら、時々顔見にきて、チューくらいしてくれへんか。
 そう思って俺は、泣きながら笑った。アキちゃんはそれを、不気味そうに見ていた。
「どうしたんや、亨。頭沸いたんか?」
 アキちゃんのその、優しく無さが、慣れるとちょっと気持ちいいような気がする俺は、実はマゾか。そんなん今までやったことないな。いつも俺がご主人様やったからな。これで新しい境地に到達、みたいな話か。アキちゃんの放置プレイが快感に変わる日がいつか来るんか。とりあえず今はまじでツラいで。やることあればまだしも、一日暇っていうのは。
「朝飯は家族だけや。お前もとっとと服着て雑煮食え。着替えが用意してあるはずやで」
 アキちゃんはさらりとそう言って、部屋のすみに用意されてた黒漆の浅い衣装箱のほうへ行った。
 家族だけという席に、自分も混ぜてもらえるらしいことに、俺はちょっと嬉しくなっていた。
 離れて見ると、和装のアキちゃんは案外たくましい背筋ラインをしてて、ああもう勘弁してくださいみたいな感じやった。これは新しい拷問か。
「げっ。着物やったわ」
 箱の中身を確かめて、アキちゃんが嫌そうに言った。
「亨、お前、浴衣が着られへんのやったら、着物はもちろん無理なんやろ」
「無理。っていうか、なんで着物なん。アキちゃんいつも洋服やのに」
 なるべくアキちゃんを見ないようにする横目で、俺はうじうじ答えた。
「おかんの方針やねん。日本人は和服を着ろという。すまんけど、付き合ったって」
 ほんまのこと言うと、俺は着物を自分で着られる。だって、ちょっと前までは、日本の人はみんな着物着てたで。そこを裸で歩いてたわけないやん、いくら俺でも。
 嘘ついたんです、昨夜は。構ってもらえるかなあみたいな下心ありありだったんです。
 それがあんな放置プレイになるなんてな。
 ひどい親子やで、ここのおかんと息子は。
 車でこっちに来る途中、なんか急に縛られるみたいな感覚がして、ギャーッ、ってなって、何かこう、中まで全部洗うわよみたいな感じになって、いやあん、みたいな。そんな目に遭わされたんやで、俺は。言葉で説明しにくいが。あれは絶対、アキちゃんのおかんが張ってる結界みたいなもんなんやで。だって玄関先で会った時、おんなじ匂いがしたもん。
 そんな生娘みたいなおかんがやな、不意打ちで俺を犯すというのに、その息子のほうは、どうぞ犯してみたいな状況にありながら、お前はうるさい、我慢しろ、数を数えろですよ。
 殺される。ここの親子にぎったんぎったんにされる。苦しいよう。極楽生活の後の地獄生活は。惨めすぎやで。
 もやもやとエンドレス泣き言を頭の中で考えながら、俺が体育座りしてると、とっとと着替えたアキちゃんが着物持って戻ってきた。
「俺が着せたるわ」
「アキちゃん」
 文句の一つも言うたろと思ってたのに、やっと構って貰えて、俺は必死で甘える声だった。もうあかんのとちゃうか。
「俺、もうつらい。帰りたい。それが無理なんやったら、今夜は何かして」
 ぶっちゃけ頼むと、アキちゃんは苦笑の顔になった。
「大丈夫か、お前。色情狂や。病院行け」
 俺に着物を着せながら、アキちゃんは何となく恥ずかしそうに罵った。
「ほんまに、そんなようなもんやで、俺は……」
 自分が飢えてる感じがして、俺は眉間に皺を寄せた。面白そうに含み笑いしてるアキちゃんの首筋を見て、噛みつきたいような衝動が湧き、舌に熱い唾液が絡んだ。
 昔は俺も食欲旺盛で、血肉を食らったこともあるんやで、アキちゃん。だから、あんまり俺を焦らすと、危ないよ。たたでさえ俺はアキちゃんが欲しいんや。連れて行こうとするかもしれへん。俺の仲間にして。
 確か何か方法があるねん。精気を交換してやればええねん。血だと理想的。思いあまって相手を、骨まで食うてまうような、堪え性のないのもおるで。そしたら俺もアキちゃんと一体に。だけど、そしたらもう、抱き合えへんからなあ。その手前ぐらいが、やっぱり理想的かなあ。
 そんなことを考えていると、はあはあと喉が渇いてきた。
 俺。けっこう、ヤバいかも。アキちゃん、好きすぎる。
「なあ。いつまで我慢すればええのん。帰ったらいっぱい抱いてくれるんか」
「そんな話すんな。誰が聞いてるかわからへんのに」
「いっぱい抱いて、アキちゃん」
 俺はいつも繋がってたいねん。アキちゃんはそうやないんか。
 それが俺は切ない。そう思って見つめると、アキちゃんは困ったように、ちょっと優しく笑った。
「わかったから、言わんといてくれ。俺も我慢してるんや」
 聞き逃すような小声で言うアキちゃんの台詞に、俺は目をぱちぱちさせた。睫毛に触れる空気が凛として冷たかった。
 そうなんや。アキちゃんも実は、俺が欲しいんや。
 そう思うと、なんかにやけてきて、俺は急に機嫌が良くなった。
 なんや、そうかあ。じゃあ今夜はもっと強引にいっとこ。正月なんやから。一発やっとかんと。姫始めやろ。
 うっふっふ、と俺が思わず笑うと、アキちゃんは嫌な予感がしたみたいな顔で、むっと険しい目をした。
「できたで。ごめん。|足袋《たび》はかすの忘れたわ。ほんまは先にはくんやけど。まあええやろ。座って足出せよ」
 真新しいように見える足袋を折り返しながら、アキちゃんがさも当然そうに言った。
「はかせてくれんの?」
 俺はちょっとびっくりして訊いた。足袋くらい自分ではけって言われるんやと思った。
「足袋は慣れてないと、はくとき足挫いたりするからな」
 アキちゃんはそう言って、座って脚を投げ出させた俺の踵を、片膝ついた自分の膝のうえにとって、足袋をはかせてくれた。
 なんかすごくモヤモヤした。俺、足はあかんねん。
「気持ちいいわ、アキちゃん」
 恥じらいがないって、また言われるかと思って、俺はおそるおそる教えた。アキちゃんはそれに、なんてことないように頷いて、反対の足にも足袋をはかせた。
「まあ、気持ちいいかもな。窮屈やけど。たまにはええな。気が引き締まって」
 アキちゃんは足袋の感触のことを言ってるらしかった。
「違うよ。俺はアキちゃんに足触られるのが気持ちよかってん。俺、足が感じるんや」
 アキちゃんは鈍いみたいやから、ぶっちゃけ言わなしゃあないと思って、俺はそう言った。するとアキちゃんは、唖然とした顔で、自分の膝の上にある俺の足袋はいた足をじっと見つめた。
 それから、ぽいっと放り出した。
「アホか」
 急いで立ち上がって、早口に吐き捨ててるアキちゃんは、照れたみたいやった。
「アホでもええもん。俺、アキちゃんに突いてもらいながら足舐められたら、たぶんあっという間にイクと思うわ。試す?」
「やめろ言うてるやろ、そんな話すんな」
 アキちゃんはため息をついて、悩んでるみたいに眉間を押さえていた。それが面白いというか、嬉しくなって、俺はにやにや見上げてた。
「|勃《た》った?」
「うるさい」
 茶化すと、アキちゃんは噛みつくみたいに怒って言った。俺はそれに、思わず笑い声をあげた。なんや嬉しいわ、アキちゃんが俺に欲情するというのは。それだけで、なんか、求められてる感じがするもん。
「朝飯行かなあかん」
 自分に言い聞かせてるみたいに、アキちゃんは目を閉じたまま、ぶつぶつ言った。
「行く前に一回だけでいいからキスして」
 起きてからまだ一回もしてへんで。俺はそういうつもりで要求した。朝のぶんやで、アキちゃん。
「無理や、今は。早く行こう」
「なんで無理なん。ケチやなあ」
 俺は渋々立ち上がって、それでも諦めきれずにアキちゃんの隙を突こうと狙ってた。にやにやして顔を寄せると、アキちゃんは本当に困ったような顔をして、首を倒して逃げた。
「やめてくれ、亨。俺、ほんまに我慢できんようになる」
 そんな甘い話をするアキちゃんは、苦虫かみつぶしたような顔してた。それでも俺はため息が出た。
 いい感じやん。触れなば落ちんの風情やで、アキちゃん。あともう一押し。
 そう思ったけど、一押しされたのは俺のほうやった。嫌なもんでも押しやるみたいに、アキちゃんは顔をそむけたまま、俺の肩をぐいぐい押して、一歩退かせた。
「近いねん、亨。俺に三歩以内の距離まで近づくな」
 やっぱり、つれない。アキちゃんはなんて薄情な男なんや。
 俺はそう思って、がっかりしたけど、アキちゃんはその後、ぜんぜん薄情ではなかった。
 あの、可愛いけどおっかない感じのお母さんに挨拶して、三人で白味噌の雑煮を食って、なんでか俺までお年玉をもらった。
 その後、示し合わせたような同じ時刻から、何人来るねんというぐらいの無数の年始客が、ご大層な紫の風呂敷包みを持って、例の広い玄関に現れ、座敷みたいだった上がりかまちのところに正座して待つお母さんとアキちゃんは、いちいち頭下げて挨拶してやっていた。
 それは昼過ぎまで続き、俺はときどき様子をうかがいに行ったけど、アキちゃんが戻ってくる気配はなかった。夕方ごろになってやっと、アキちゃんが気疲れした顔で、客間でぼけっとしてた俺のところに、昼飯食うかと、赤飯のおにぎり持ってやってきた。
 それを客間の居間で、俺とアキちゃんは無造作に座って食っていたが、アキちゃんはいかにも、しんどそうやった。
「大丈夫か、アキちゃん。疲れたんか」
 俺が心配して訊ねると、アキちゃんは隠しもせず頷いていた。
「毎年、元旦は気疲れするわ」
「キスしたろか」
 俺は冗談で言ったんやんけど、アキちゃんは押し黙ってるだけで、アホかとは言わなかった。
 キスして欲しいみたいやった。
 それにびっくりして、俺は一瞬ぽかんとした。
 しばらく待っても、アキちゃんは何も言わなかった。
 思わずごくりと、喉が鳴っていた。やってもええんや。昨夜は生殺し、今日も一日お預けで、俺は寂しかった。やっと優しくしてもらえる。そう思うと、心臓がどきどきしてきて、息が苦しかった。
 這い寄っていって顔を寄せると、アキちゃんはやっぱり逃げなかった。俺は項垂れてるアキちゃんの顔をのぞきこんで、唇を重ねた。アキちゃんが深いため息をついた。畳の上で手を重ねると、アキちゃんは俺の手を握ってくれた。そのまましばらく、触れては離れるような淡いキスをして、俺は何か考えてるふうなアキちゃんの目を見た。
「どしたん、アキちゃん」
 上の空で、何を考えてるのか、アキちゃんは悩んでるみたいやった。
「蔵行こうか、亨。あそこやったら……そんなに声漏れへんと思う」
 恥ずかしいのが辛いみたいに、アキちゃんは小声で誘った。
「そんなこと考えてたんか」
 またびっくりして、俺は訊ねた。アキちゃんにはそれが、批判されてるみたいに思えたみたいやった。
「ずっと考えてた。もうあかん、俺は……頭沸いてるんや」
 本気みたいに言うアキちゃんの、呆然とした顔を見て、俺はまた笑えてきた。
 そして、アキちゃんの手を引いて、立たせようとした。
「行こう。早く行こう。蔵って、どっちにあるんや」
「でも、あかんわ、亨。なんにもなしでやったら、痛いんやろ」
 アキちゃんは急に怖じ気づいたみたいに、立ち上がるのを渋った。なんやろ。欲に負けて口に出したけど、言ったら急に冷静になってきたんやろか。そんなのずるい。
「平気やで。俺、ちゃんと持ってきてるもん」
 にこにこして、俺は教えてやった。そして持ってきてた荷物から、ワセリンのボトルを出して見せてやった。アキちゃんは何となく、青ざめたような顔をして座っていた。
「こんなの、いつの間に買ったんや」
「昨日やで。アキちゃんを待ってる間に、駅前のコンビニで買いました。コーヒー買いにいくついでに」
「お前、なんてことしてくれたんや。あのコンビニのバイトはな、ほぼ百パーセント、うちの大学の学生なんやで。お前みたいなな、ド目立ち野郎がそんなもん買っていってな、その後に俺んとこ来て、もし何か変な詮索されたら、どうすりゃええんや」
 アキちゃんは本気で怖いみたいやった。臆病者やなあ。そんなに俺とデキてると思われるのが嫌なんか。
「考えすぎやって、アキちゃん。ワセリンは、低アレルギー性のお肌に優しいクリームです。赤ちゃんのお尻にも安心なんやで。何に使うかなんて、誰も詮索せえへん。この人、乾燥肌なんやって、思うくらいやって」
 言いながら、真っ青な顔してるアキちゃんが面白すぎて、俺はにやにやするのを止められへんかった。心配症なんやって。実際やましいところがあるから、そんなこと思うんや。
「行こう。どしたん。萎えたんか」
 そういうこともあるかな。アキちゃんはデリケートやから。そう思って俺が苦笑しつつ訊くと、アキちゃんは青い顔のまま、すっくと立ち上がった。そして、いきなり俺の手を掴み、部屋から連れ出すと、すたすたと長い廊下を歩いていった。
 それが変やと、思ってへんのが、いつものアキちゃんからすると変やった。自分から手つないできたことなんか無かった。だから、こんなことするなんて、相当キレてる証拠やと思った。
 アキちゃんは裏庭に俺を連れて行き、少し離れたところに建っていた、白い土壁の立派な蔵の扉を、懐に持っていた古風な和鍵で開けた。蔵の中はさすがに古びた匂いがしたけど、手入れされてるらしくて、埃まみれというほどではなかった。
 アキちゃんが分厚い鉄扉を閉め、内扉の格子戸まで、ぴしゃんと音高く締めてしまうと、中は手探りするほどの真っ暗やった。その中で、アキちゃんが俺のそばを離れて、どこかへ行く気配がした。
 しばらくして、上のほうで窓が開いた音がした。見上げると、梯子をかけた中二階があって、空気取りの小窓か、鉄格子をかけた長四角の窓が、ぶあつい漆喰壁を貫いて、外に通じていた。そこから漏れてくる夕方の光は、外で見たときには淡くかげり始めていたものの、この蔵の中に差し込むと、恥ずかしいくらいの強い一条の光線だった。
 アキちゃんが降りてくる気配がないので、俺は諦めて、梯子をあがり、上まで追っていった。
 簡単な床板を張ってある中二階の、細々とした箱が雑然と置かれている壁際を見つめて、アキちゃんは正座していた。
「昔、悪さしたら、おかんにいっつもここに閉じこめられたわ。夜まで出してもらえへんねん。いつも、めそめそしながら、この窓から外を見てた。ひとりで怖くてな、早う陽が暮れてきて、おかんが許してくれへんかなって」
 アキちゃんは呆然としたように、その話をしていた。
「そうかあ。そんなところで、今日は俺と悪さしようっていうんやから、アキちゃんも、もう、立派な大人なんやで」
 俺はからかうつもりでなく言ったが、アキちゃんは眉間に皺を寄せていた。
「亨」
 それでも意を決したように、アキちゃんは名前を呼んできた。
 伸びてきた手に、俺は着物の袖を掴まれた。外からの光を浴びて浮かぶ、アキちゃんの反面は、欲情してるっていうより、何か思い詰めていて怖いような感じがした。
「こんなとこで、こそこそ抱いて悪いな」
 アキちゃんは真剣に謝ってるらしかった。まるで、女中に手をつける悪い若旦那みたいやな。そう思って、俺はまた笑っていた。
「かまへんよ、アキちゃん。隠れてやるのも気持ちいいかもしれへん」
 笑って許すと、アキちゃんは強く袖を引いてきた。そうして俺を抱き寄せて、ただの板張りの床に押し倒しながら、待ちきれないようなキスをしてきた。アキちゃんの息は熱かった。
「ごめんな、背中痛いやろ」
「気になるんやったら、床に這わせて後ろからしたらええやん。それとも立ったままやるか。なんでもやるよ俺は。どうやってやりたいか、なんでも言って」
 仰向けに寝ころんだまま微笑んで訊ねると、アキちゃんは俺を抱き、じっと顔を見下ろしてきた。その顔は、ずいぶん苦しそうやった。
「あの、電話の相手とは、どうやってやったんや」
 アキちゃんは、案外冷静な声で、俺にそう訊いた。俺は笑ってられんようになった。
「藤堂さんのことか」
「名前なんか知らんでええわ」
 追い被せて答えてくるアキちゃんの声は、何やら怖かった。
 からん、ころん、と、微かな子供の声のようなもんが、下の階から聞こえた。空耳じゃないはずやけど、アキちゃんはそれに、全く気を向けなかった。
「どうやってやったんや。俺とやるより、良かったか」
 アキちゃんが、嫉妬してるんやというのは、もちろん分かってた。でもそれが、嬉しいというより、今は怖かった。いつもは平凡な好青年ですみたいな風でいるアキちゃんが、この蔵の闇の中では、なにやら別物に見えた。それで俺は震えてきて、アキちゃんの体の下で、凍えたように縮こまっていた。
「藤堂さんは、俺を抱かへん。舐めるだけや。あの人は、病気やねん。だから勃たへんのやって。ほんまかどうか、知らんけど……一遍も、抱いてもらったことない」
「そんなやつの、どこがええねん」
 アキちゃんはまじまじと、俺の顔を見ていた。からん、ころん、と、また下で声がした。
「……上手いねん。ただそれだけ」
 嘘でもつけばよかったろうけど、なんでかそれができへんかった。アキちゃんにじっと目を見下ろされ、お前はどうしようもないやつやと言われてる気がして、俺は泣きそうになった。アキちゃんは、怒ってる。俺の話に。腹立つなら、なんでそんな話させるんや。
 半日離れてる間、年始客の相手しながら、アキちゃんは俺のこと恋しく思っててくれたんやと喜んでたのに、ほんまは怒ってたんか。なんでそんなふうになるんやろ。俺はずっと、アキちゃん早う帰ってけえへんかなって、寂しく待ってたのに。
「俺は下手やってことか」
 どう聞いても頭にきてるらしい声で、アキちゃんはぽつりと訊いてきた。
「そんなことない。アキちゃんとやるのは気持ちええよ」
 強い握力で、アキちゃんは俺の手首を握りしめていた。指が食い込むような力やった。
「どうやったらお前が悦ぶのか、教えてくれ。俺には分からへん。なんでもしてやるから、他のと寝んといてくれ」
「そんなことしてない。アキちゃんと会う前の話や。そんな怖い顔せんといて」
 怯えて頼むと、アキちゃんは目を閉じて俺から顔を背けた。深い息をつく間、アキちゃんは黙っていた。アキちゃんの怖い目から逃れて、俺はほっとした。
「亨。俺はお前が好きや。でも、どうしたらいいか分からへん。どうしたらいいか……」
 アキちゃんがなんでそんなに焦ってるのか、俺には分からへんかった。
 言葉に詰まったまま、アキちゃんは結局なにも言わず、いきなり服を脱がせてきて、俺のを舐めた。急なことすぎて、喘ぎより悲鳴が漏れた。びっくりしたんや。アキちゃんは今まで、そんなことはせえへんかった。俺がアキちゃんのを舐めることはあっても、その逆はなかった。
 怖い目で見られて、びびってたせいで、俺はまだ興奮してなかった。アキちゃんの、上手いとは言えない舌で嬲られて、だんだん昂ぶってくる自分が、なんでかすごく恥ずかしい気がして、俺は逃げたかった。
 いつもみたいに、ご奉仕させてよ。こんなんアキちゃんらしくないやん。俺だけ気持ちよくされて、アキちゃんはそんな悲しそうな顔でいるのは、ぜんぜん幸せやない。そう思えて、俺もアキちゃんに何かしようとしたけど、全部拒まれた。
「アキちゃん、俺、こんなん嫌や。一緒に気持ちよくなりたい。俺のこと抱いて、いつもみたいに」
 悶えながら頼むと、アキちゃんは荒い息で唇を離し、俺の腰を抱え上げて床に這わせた。
 嫌な予感がした。アキちゃんは、どうやってやるか、ろくに知らんのとちゃうか。今までずっと、支度は俺がしてたもん。アキちゃんに、前戯をやらせると、俺が女やないことを思い出して、アキちゃんが萎えるんで、俺はもう早々に、そんなことは諦めた。
 案の定、アキちゃんは、俺が用意してたもんは使ったものの、それさえ付けりゃええんやと思ってたみいやった。無理矢理後ろから入れられて、俺もさすがに呻いた。
「い、痛いで……アキちゃん。入れる前に、慣らさなあかんねん」
「そうなんか。でも、もう、我慢できへん」
 泣いてるみたいな声やった。アキちゃんは、俺の中に入れるだけで、相当気持ちいいらしい。なんでやろ。欠けたところに、ぴったり填《はま》るような感じが、いつもする。
「動いてもええか」
 極まった声のアキちゃんは、訊ねてるんやなく、俺に頼んでるんやった。四つん這いになった俺の背を抱く、アキちゃんの体が、震えてるような気がした。
「ゆっくりやって、アキちゃん」
 頷いて、アキちゃんはゆっくりやってくれた。はじめは正直、気持ちよくはなかった。苦しいばっかで。愉悦が欲しくて、思わず自分の前に手をやると、アキちゃんがそれを退けさせて、代わりにやってくれた。
 なんか恥ずかしい。アキちゃんに愛撫してもらって、ゆっくり突かれるうちに、だんだん体が慣れてきて、口から喘ぎが漏れてきた。アキちゃんは、激しくやりたいのを堪えてるような気配だった。
「気持ちいいのか、亨」
「気持ちいいよ。アキちゃんは」
「俺はすごくいい、すごく……」
 それがすごい悪いことのように、アキちゃんは済まなそうに言った。
「でも、お前は痛そうや。大丈夫なんか、ほんまに。このままやって」
 血でも出てんのかな。俺は苦笑してそう思った。たとえそうでも人並みの体やないから関係あらへん。治そうと思えば、すぐ治る。でもアキちゃんに、そう言うわけにもいかへんし。
「俺、実は処女やってん。気にせずやって。アキちゃんが気持ちよかったら、俺はそれでええねん」
「俺はいやや」
 振り絞るような声で、アキちゃんは耳元に答えてきた。でもそれで、行為が止まるわけではなかった。アキちゃんはたぶんもう、相当きてるで。
「亨、お前が俺に、飽きたらどうしよう。俺はなんの愛想もないし、つまらん奴やで。今日もずっと、退屈させたやろ。戻ってもお前がいないんちゃうかって、ずっと心配やった。どこか他のとこへ……今朝電話してた奴のとこへ……行くんやないかって」
 アキちゃんは俺を抱きながら、譫言みたいに苦しそうに言っていた。
 それで焦って、俺を抱こうと思ったんか。アキちゃんは、鈍いんか鋭いんか、わからん子やなあ。
「飽きたりせえへんよ。まだ会って一週間なんやで」
 アキちゃんが可哀想になって、俺は宥める口調だった。まるで小さい子と話してるみたいに。
「アキちゃん……あんまり前、虐めんといて。手だけでイってまいそう……アキちゃんので、して……」
 なんかすごく、切ない。痛いような苦しいような感じがする。無理矢理入れられたのが痛かったんか。でも、そういう痛さじゃない。体のほうはもう、ひたすら気持ちよかった。痛みもただ、むず痒いようなもどかしさがあるだけで、そこにアキちゃんのが触れるのが、気持ちいいくらいだった。
 それなら俺は一体何が痛いんやろ。胸が苦しい。こんな感じがしたのは初めてで、俺は自分がどっか壊れてるんやないかと心配になった。アキちゃんが突くと、死にそうに気持ちいい。自分でもすごいと思えるような甘い声が、喉から漏れて、アキちゃんが慌てて、俺の口に懐紙の束を噛ませた。
 窓が開いてることに、今さら気がついたんやろ。夢中のようでいて、そんなこと気にするのが、アキちゃんらしくて、俺は笑いながら、喘ぎを堪える歯で、乾いた味のする和紙の束を、きりきり噛んでいた。
 ああ、なんかこれ、気持ちいいかも。いつも自分の声で、ほかにはなんにも聞こえてへんかったけど、声を堪えてたら、アキちゃんが案外、甘く呻いてるのが聞こえる。堪えてるけど、どうにも堪えきれんというような、その微かな声が、耳の奥の方で、蕩けるように甘い。
「ああもう出そうや」
 その堪えがたいという囁き声で、アキちゃんが愚痴った。かまへんよと、俺は促したけど、アキちゃんは絶対いややというふうに、首を振っただけやった。アキちゃんはいつも、俺を先にいかせようとする。負けた気がするらしい。自分だけ愉しむと。
 あとはもう、熱い息だけの、沈黙の世界やった。
 からん、ころん、と、また忘れていた例の、得体の知れん声がした。それが、かたかたと、梯子を登ってくるのが、朦朧と抱かれる視界の中に見えた。
 アキちゃんは、もういい言うてるのに、前をやるのをやめてくれへん。気持ちよすぎる。俺は頭がくらくら来て、梯子をあがったところから、四つん這いになってる俺の腹の下をとことこ通り抜けていく、小さい下駄の行列を眺めた。
 朱塗りや黒塗りで、可愛い鼻緒のついてる、小さい子供用の晴れ着の下駄やった。どうもそれは年代物で、綺麗に手入れされてるけど、何代も受け継がれたきたもののようや。
 下駄には裏に口がついていて、からん、ころん、と歌っていた。怖気が立ったが、それは俺がアキちゃんの指でいかされそうなのを、必死で堪えてるせいかもしれなかった。
 アキちゃんがまた悪さしてるわ、蔵に閉じこめられてるわ、悪い子やわあと、下駄が喋っていた。そいつらはどうも、俺に言っているらしかった。アキちゃんには全然、聞こえてないみたいやった。
 この子はほんまに頑固な利かん坊やねんで。気いつかへんと悪さして。雨を呼んでは橋流す。台風呼んでは川溢れさす。トヨちゃんも、いちいち止めなあかんで大変なんやでえ、と、下駄たちが口さがない噂話をしていた。
 トヨちゃんて誰なんやと俺が言葉でなく訊くと、そんなんも知らんのか、お前アホちゃうか、アキちゃんのおかんやないかと、下駄たちはきつい口調で言い返してきた。その話し方は、なんとなくアキちゃんと似てた。
 トヨちゃんも、ほとほと困ってるんやで。アキちゃんは、ぼんくらなんか。力あんのに、なんで使わへんのんや。たったひとりの跡取りやのに。秋津の家もうちの代で終わりなんやろか。鈴の入った小さい赤下駄が、愚痴愚痴言っていた。
 いやいや、そんなことないでと、別の黒塗りの下駄が口を挟んだ。アキちゃんは天狗さんの子なんやで。血が濃いんやでえ。あの子はひとりで寂しいんやで。変な子や言うて友達でけへんやないか。いっつも蔵で泣いてたんやで。
 お前、トオルちゃん言うんか。アキちゃん泣かせたら、うちらが承知せえへんで。この子は秋津の跡取りなんやで。よろしゅうおたのみもうします。
 いくつもの下駄がそろってお辞儀をするのを見て、俺は自分も頭沸いてきたんやろうかと思った。
 アキちゃん、この家、変やで。アキちゃんの実家、普通やないで。それに俺、もう、我慢でけへんわ。
「アキちゃん……漏れそう。出していいんか、床が……汚れるよ」
 背に覆い被さってたアキちゃんの、俺の首筋に擦り寄せられていた頬に、俺は仰け反って訊ねた。
「大丈夫や、俺の手に出せ」
 ああ、なんかそれは、恥ずかしい。そう思うと我慢できんようになってきて、俺は押し殺した鼻にかかった喘ぎで、感極まってきた。アキちゃんが俺を追い上げていた。短い悲鳴は堪えきれなかった。
 震えながら出すと、指から漏れたひとしずくが床に落ちた。
 お行儀の悪い子やわあ、と、下駄どもが大騒ぎして殺到してきて、その一滴を舐めた。美味いなあと、やつらは臆面もなく感嘆していた。
 そりゃそうやろ。俺はそういうもんや。お前らも無駄に精がつくってもんや。ていうか、下駄って舌あるんや。歯があるのは知ってたけど。舌もあるんや。
 そう思いながら、やっと安心したみたいに、最後の愉悦に溺れてるアキちゃんの追撃を、俺は身に受けた。腰抜けそうに気持ちいい。切なげに鋭く呻いて、深く入れたアキちゃんが、もう動かないのを見て、下駄どもは一滴くらいまた漏れてこんかと思うらしかった。
 お前らもアキちゃん狙いなんか。ライバル多いなあ。だけどこれは俺が、全部もらうし。
 熱い奔流を受けて身を震わせる俺を、下駄どもは、この因業めと、わあわあ罵っていた。しかしそんなことはお構いなしや。履き物ふぜいの言うことに、なんで俺が頓着せなあかんのや。
 ううん、と呻くようなため息を、アキちゃんがやっと漏らした。疲れたみたいやった。
「夜んなってもうた」
 恥ずかしそうに、アキちゃんは窓の外の、とっぷりと暮れかけた黄昏空の、曖昧な色合いに目を逸らしていた。
「お前の足、舐めてやんの忘れてた」
 アキちゃんは、ますます恥ずかしそうに、そう付け加えた。
「夜またすりゃええやん」
「もう夜なんやで」
 呆れたような、いつも口調で、アキちゃんは俺を非難した。でも、もう、怒ってるようではなかった。
 そしてゆっくりと体を離し、大丈夫かと心配そうに俺に聞いた。平気やでと俺は答えた。平気どころか絶好調やで。アキちゃんのを呑んだから。むしろ、やる前より、いろいろ|漲《みなぎ》ってるくらいやで。
 もちろん、そこまでは答えなかったんやけど。アキちゃんは、俺の様子がいいのをみて、安心したらしかった。
 それから俺ので濡れた自分の手を見て、懐紙をとってくれと頼んできた。
「拭かんと、舐めれば」
 冗談だったが、やるわけないと思って、俺は意地悪く、拾った懐紙の束をもういっぺん口に銜えてみせた。でも、アキちゃんは一瞬考えたみたいやった。ほんまにやるんちゃうかという気がして、俺は唇を開きかけたアキちゃんの魅入られたような目に慌てた。
 とっさに手を掴んで止めると、アキちゃんはぽかんとしていた。
「冗談やんか。本気にせんといて」
 俺は照れながら、アキちゃんの手を懐紙で拭いてやった。
 そんなもん体に入れたらあかんよ。そんなの度々やってるうちに、俺の|僕《しもべ》にされてしまうよ。アキちゃんにはそんなん似合わへんやん。アキちゃんはいつも通りの、態度でかいご主人様でないと。
「亨」
 先に俺に着物を着せてくれながら、アキちゃんは決心したように言った。
「三が日すぎたら、出町に帰ろうか」
「いいけど、なんで? 十五日までは正月なんやろ。お母さんが、がっかりしはるで」
 自分の着物を直してたアキちゃんは、黄昏の暗がりのなかで、苦笑の顔のようだった。
「絵を描きたいねん」
 なんや、またそれかと、俺はがっかりした。
「それに……お前に声出すの我慢させるのも可哀想やし」
 もののついでみたいな言い様で、アキちゃんは早口にごまかしていた。
 俺は一瞬の真顔のあと、堪えきれず、にやにやした。えへへ、と笑えてきたけど、それはさすがに我慢した。アキちゃんにどつかれそうな気がしたからだ。
「あれ。なんや、この下駄は。こんなん、どっから出てきたんやろ」
 アキちゃんはびっくりしたように、床にたくさん散らばっている、子供用の下駄を怪訝そうに見回した。下駄どもはもう、ぴくりとも動かない、ただのモノに戻っていた。それとも酔っぱらって寝てるだけか。
「戻って風呂入ろうか」
 優しいような声で、アキちゃんが誘ってきた。俺はそれに、くうんと甘えたい子犬の気持ちで、ぱたぱたと尻尾を振った。
「一緒に入ってくれるんか」
「いや、それは無いやろ、亨。常識で考えろ。ここは俺の実家なんやで」
 すっかり平静に戻っていたアキちゃんは、けろりとしてそう言った。
 なんやそれは。犯ったらもう用済みなんか俺は。この蔵もお前の実家やないか。ここで一発やったって、お前のおかんに言いつけたるぞ。一晩、蔵に閉じこめられて、闇夜に棲んでる何やよう分からんようなもんに、お前もべろべろ舐められればええんや。
 内心そう罵ったけど、勿体ないから俺は言うのをやめた。どうせならそれは俺がやるわ。だってアキちゃんは俺のもんやからな。誰にも渡さへん。
 それに今夜はまたお楽しみやでえ。そう期待して、俺は窓から見える景色に、うっふっふと笑った。きりっと冷えた冬の夜空に、天狼星が美しくぎらぎらと輝いていた。抱き合っていないと寒いような、息の白く凝る初夢の夜だった。


--------------------------
←Web拍手です。グッジョブだったら押してネ♪

作者あてメッセージ送信
Name: e-mail:  

-Powered by HTML DWARF-