SantoStory 三都幻妖夜話
R15相当の同性愛、暴力描写、R18相当の性描写を含み、児童・中高生の閲覧に不向きです。
この物語はフィクションです。実在の事件、人物、団体、企業などと一切関係ありません。

大阪編(3)

 そうやそうや、コーヒーもれていったらなあかんと、俺は思いついた。
 アキちゃんは、カフェイン切れると機嫌悪いねん。大学行くときはいつも、駅のコーヒー屋で一杯買ってから行くけど、学内の自販機で買えるコーヒーはコーヒーやないし、絵描いてる時に自分でれるのは、集中とぎれて嫌やからやらへんのやと、確かそう話してた。
 ほんなら、そろそろコーヒー切れてるんちゃうかと、俺は時計見て思った。もう昼やし、朝買ったコーヒー終わる頃やろ。
 また店で買ってってやればええんかもしれへんけど、アキちゃんはいつも、俺のれたコーヒーのほうが美味いて言うてた。そりゃそうやで。練習したんやもん。
 お店の人も精魂こめてはるやろうけど、俺がアキちゃんのためにれるんは、その精魂の籠めぐあいがハンパ無いんやって。
 愛ですよ、愛。
 そう思って、俺はにやにやコーヒーをドリップした。
 何か最近、俺ってひとりでにやにやすんのが癖んなってきてる。危ない感じやでえ。
 でも幸せなんやから、しゃあないなあ。もう。
 アキちゃんの昼飯には、サンドイッチを作ってやった。照り焼きチキンと海老マヨやで。野菜もいっぱい挟んだよ。アキちゃんはいつも、俺の作るサンドイッチは美味いて言うてた。そうやろ。それも愛なんやで。
 さあ、愛情弁当もできたし、熱いコーヒー魔法瓶に入れたら、とっとと出かけよう。うっかりアキちゃんが先に昼飯食ってたら、むかつくからな。
 電話かメールして、弁当持っていくって知らせればええんやけど、それよりは、突然持ってって驚かしてやろかと思って、俺は大急ぎやった。
 それに時々は奇襲しとかなな。アキちゃん、誰と浮気してるか分かったもんやないで。身持ち固そうなくせに、油断できへんからなあ、アキちゃんは。
 時々、おかんに呼ばれて嵐山の家に俺だけ行くけど、はじめて行った時にアキちゃんに抱きついてた、例のまいっていう顔無し女、あのあと、おかんに顔戻してもろたんや。顔有り版と後日ご対面してみたら、えげつないぐらいアキちゃん好みの可愛い顔やった。もう殺そか思たわ。この植物系が。
 向こうは向こうで、若様若様言うて、俺をジト目で見るしな。見たきゃいくらでも見るがいいよ、俺様のこの美貌を。睨んだところでお前に勝ち目はないんや。アキちゃんは俺が好きなんやで。お前みたいな光合成するやつはお呼びでないんや。庭に立っとれ、この寒椿が。
 俺がそうやって勝ち誇っていると、舞はぐすんと涙声で、俺に言い返してきてん。
 いややわ。ちょっと若様にお情け頂戴したから言うて。卑しい長虫ふぜいが汚らわしい。
 そう言うて、あいつは庭に逃げたんやで。
 長虫て、何。
 なんやろと思うて、アキちゃんに訊いたら、蛇のことやと言うてた。
 俺って、蛇なん。そうなんかな。自覚ないんやけど。
 でも、舞がそう言うんなら、そうなんかもしれへん。俺があいつは寒椿って思うんやから、舞が俺を蛇やて言うなら、そうなんかもしれんやろ。ほんまに舞は寒椿なんやで。おかんが大事にしてる庭の植木やねん。おかんには実の娘みたいなもんや。
 それで何や、そわそわしてきて、アキちゃんに、アキちゃんは蛇は好きかて訊いてみた。
 そしたらな。嫌いや言うてたわ。
 気持ち悪いんやって。うろこが。
 そういや今年の初夢、白蛇の夢やったわと、アキちゃんは怖気だったみたいに身震いして言った。夢見悪かったで、と。きっと今年は、ろくな年やない。ろくでもない滑り出しやったしな。
 そうかなあ、と、俺は怒っていた。いい年やと思うけど。だって俺とラブラブやん。アキちゃんは何が不満なん。俺、なんか、切ないわ。
 なんやろ、うっかり、嫌なこと考えたと思って、俺は慌てて、荷物を掴んだ。
 夏やしラクでええわ。Tシャツとジーンズで、裸足のまま靴ひっかけて部屋を出た。
 鍵かけへんでも、銀のキーチェーンに繋いである鍵が、勝手に反応してドアを施錠した。便利な時代や。
 そのままエレベーター降りて、玄関のエントランスにある自動ドアの前に立つと、いつもそこにある、熱いゼリーみたいな、おかんの張ってる結界が感じられた。前はこれも、俺を阻む障壁やったんやけど、今ではおかんは俺を受け入れたらしい。せやから出るのは簡単やった。
 けど、戻ってくるのは、未だに大変なんやで。
 ここのエントランス、顔認証とかいうて、入ってきたやつの顔をビデオカメラで隠し撮りしてな、それをコンピューターが解析して、登録されてる住人の顔やったらドア開けて、知らん顔やったら足止めすんねん。
 俺は本来、鏡やらカメラやらには写らへんのやけど、一時期、アキちゃんとデジカメでさんざん遊んだ時に、いろいろ試して、コツを掴んだんや。普段は写らんもんに、写る方法を会得した。それで、エントランスの顔認証もクリアしたんやけど、一人やと今でも時々失敗する。アキちゃんがいたほうが、上手にできるみたい。
 アキちゃんは、そのほうが、嬉しいみたいやった。俺がひとりで出かけたら、浮気すると思ってるらしい。なんでそんなこと思うんかな。俺はアキちゃん一筋やのに。自分がやましいからちゃうか。
 それでも、おかんが俺を日中呼び出すもんで、帰られへんと不便やしということで、アキちゃんは渋々俺の顔を、住人リストに登録してくれた。おかんが言ってなかったら、たぶん今でもしてないんちゃうかな。アキちゃんてそういう、独占欲強いところある。俺を閉じこめといて、どこにも行かせへんみたいなな。
 うふっ。まあ、それはそれでええんや。その緊縛感がな、けっこういいねん。だからまあ、顔認証は正直いって、なあんや登録してもうたんか、という気がしなくはないな。そのせいで、お前先帰っとけ言われるようになったしな。アキちゃんと一緒やないと帰られへんて言うてた頃が、ちょっと懐かしいわ。
 でもまあ、そうも言ってられんか。買い物行って飯作ってやってんのやし。気晴らしの散歩にも行ける。アキちゃんに気取られないように、大学にこっそり偵察にも行けるんやで。
 さああ、今日も突撃やと思って、俺は足早にすたすた叡電の駅へ向かった。
 そしてそこで、声をかけられた。おっさんに。
 それはよくある事やねん。俺はなんか、おっさんにモテんねん。若い子にもモテるけど、特におっさんにモテるな。なんでやろなあ。
 とにかく、何やねんこのエロオヤジと思って、そういう鬼のような目で声かけてきた男を見てやると、どっかで見たことあるおっさんやった。
 頭ん中の顔リストをサーチして、俺は思い出した。
 刑事や。姫カットの死体出た言うて、アキちゃんを犯人呼ばわりして、つれてった刑事。
「なんやねん、おっさん。俺に何か用か」
 それで俺はいきなり喧嘩腰やった。
 確か守屋とかいう刑事のおっさんは、それに仰け反った。連れの若い刑事なんて、いきなり滝のように汗かいてた。
「い、いや、見かけたから、つい声かけたんやけど。こんにちは」
 ナンパか、おっさん。ついていかへんで俺は。
 そんな俺のやぶ睨みにたじたじとして、おっさんは胸の内ポケットから警察手帳を出して見せた。
「ちょっと訊きたいんやけど、ええかな」
「あかんわ言うても訊くんやろ。さっさと訊け。コーヒー冷めるやないか」
 せっかくアキちゃんに熱々のを持ってったろうと思って、人が急いでんのに。
「怖いな。あんた、こんな子やったっけ。ほな訊くけど、君のツレの本間さんな、あのボンボンの、昨日の夜なにしてたか知ってるか」
「何って、俺と寝てたわ」
 さっさと答えてやると、若い刑事とおっさんは、二人同時にぶっと吹いた。なに驚いてんねん。そんなことも知らんかったのか。刑事のくせに。調べたんちゃうんか。
「朝までずっとか」
「朝までずっとって、どういう意味や。朝までずっとやってたわけやないで。十二時くらいまで騎乗位でやって、終わったら寝たわ。めちゃめちゃ良かったで」
 アキちゃん昨日の夜もすごかったで。ほんま堪らん。今朝はふられたけどな。
「そんな詳しく訊いてへんやろ」
 顔をごしごし擦って、刑事は悔やむように言った。自分で訊いといて何困っとんねん。アホか。
 俺はだんだん腹が立ってきた。嫌な予感がしたからや。
 なんでこいつが俺を呼び止めて、アキちゃんのアリバイみたいなの訊くんやろ。何かあったんちゃうか。大丈夫やろか、アキちゃんと思うと、俺の胸の奥らへんが心配でキリキリ痛んだ。
 アキちゃんは気が強そうに見えて、実はデリケートな子やねんで。それでのうても苦労知らずのボンボンやねんから。姫カットの件でしょっ引かれた時も、めちゃめちゃショック受けてたで。俺が傍におらへんかったら、やばかったんとちゃうか。
「なんやねん今日は。まだアキちゃんのケツ追い回してんのか。気いつけや、刑事。また、怖ーい電話かかってくんで」
 びびらせといたろと思って、俺は刑事ににやにや言うてやった。おっさんは、明らかに痛いという顔やった。
「美大でまた遺体が出たんや。本間さんは被害者と死の前夜まで一緒やったし、日頃から付き合いもあった。痴情のもつれで殺った線もあるいうことで、一応調べてんのや」
「アホか、もつれる痴情なんかないわ! 誰やねん被害者。男か、女か?」
 まさかあのホモの担当教授がとうとうアキちゃんに手出したんちゃうかと、俺は怪しんだ。あのおっさん明らかにアキちゃん狙いやで。最近、作品展があるとかで、あのおっさんアキちゃん捕まえて遅うまで働かせてるからな。まさかとうとう凶行に及んで、返り討ちにあったんとちゃうか。そらもう殺さなあかんで。正当防衛や。アキちゃんがやらへんなら俺がやる。ぎったんぎったんにしたるで、エロオヤジが。
「いや……被害者は女性やけどな……本間さんて、そういう人なんか。そんなふうに見えへんのやけど、その、衆道なんか」
「また女か。油断も隙もあらへんわ」
 刑事の話を聞いて、俺はわなわな来てた。
 美大は女だらけやからな。普通の大学と比べて、女率が高い気がする。そらまあ、そうかもしれへん。今時の厳しいご時世や。絵描いて生きようなんていう男はそうそうおらへんわ。相当のアホか、ボンボンか、よっぽど芸術に魅入られたやつかやで。
 その点、女どもは暢気なんか、うち絵好きやしいうて気楽に美大来てるのもおるみたいやわ。ほんで先々は、ええ男見つけて永久就職して、てめえは絵描いて暮らそかみたいな玉の輿ドリーム抱いてるやつもおるで。
 そんなけだものみたいな女どもにとってやな、アキちゃんなんて、生まれたての美味そうな子鹿みたいなもんやで。金持ちのボンボンで、男前やし、絵も上手い。しかもけっこう初心うぶで奥手やから、食おう思て狙ってくるやつには無防備や。
 それでも今までアキちゃんが割と無事やったんは、ひとえに面食いのおかげやないか。アキちゃんは顔いい奴にしか萌えへんねん。しかもストライクゾーン狭いでえ。大和撫子みたいなんがええねんて。そんなんもう今の世の中では絶滅危惧種や。
 それで前の女はあの姫カットやったんや。見た目はいかにも和風みたいな可愛い顔してた。せやけどあの女、元は遊んでるタイプやったらしいで。顔可愛いいうんでモテモテで我が儘で、あたし才能あるから的ノリで鼻持ちならんかったらしいわ。美大の女の子たちがそう言うてた。
 えげつないで女は。死んだ同級生の悪口言えるんやからな。ふつう死人の悪口は縁起でもないから言わへんで。それでもまだ悪く言われる程度に、嫌な女やったってことかもしれへんけどな。
 そんな性格の女に、顔がええからいうだけで騙されるなんて、アキちゃんも大概アホやけど、それにはちゃんと理由があってん。
 姫カットには別の女が憑依してたんや。実際にアキちゃんに告って付き合ってたんは、その、中の人のほうやってん。しかも、その女はめちゃめちゃブスやったらしい。俺はいっぺん相まみえたけどな、引っ込み思案で暗い子やったわ。自信なかったんやろ、ブス歴長くて。女には、見た目の美醜は人生の大問題やからな。
 まあそんな、ガワの和風美少女と、中身のブスの絶妙なコラボレーションで、控え目で頼りなげな大和撫子風味ができあがり、それが告ってきたというんで、アキちゃんは彼女と付き合うことにしたらしい。
 せやけど、そんな奇跡のアクロバットみたいなコラボ女でさえ、アキちゃんの繊細なガラスの心には危険物やった。些細な喧嘩が元で、ふたりはクリスマスの夜に別れた。そこを横からイタダキしたのが俺様というわけや。
 アキちゃんは、俺の顔が好きらしい。まあ確かに、俺は美しいわ。最近やっとまともに鏡で見たけど、自分でもくらっとくるぐらいの美貌やわ。ギリシャのほうで、泉に映った自分の姿に恋して、恋煩いで死んだナルシーな男の伝説があるけど、あれをアホかとは断言しづらい感じの気分がしてくる。魔性の美やでほんまに。
 アキちゃんは元々、男と寝るなんて見当もつかんような子やったけど、それでも俺の顔が好きすぎて、癖になったらしい。いわゆる一目惚れやな。初見からして俺とやりたいと思ったみたいやで。
 別にそんなんは恥やない。俺が本気で誘えば、誰でもそんなもんや。俺はほんまに魔物なんやから。
 けどな、時々気になるねん。アキちゃんは、俺がブサイクやったら、惚れたりせえへんかったんやろな。姫カットの中のブスも、そう言うてたで。ほんまの姿は見せとうないて。
 アキちゃんは、綺麗なもんが好きや。絵にも綺麗なもんしか描かへん。耽美派やねん。醜いものを見ると、萎える質やねん。
 せやからな、アキちゃんは、俺の中身がほんまは蛇かもしれへんなんて分かったら、もう抱いてくれへんのとちゃうやろか。元々、女のほうが好きなんやし。俺のいいとこなんて、アキちゃんにとっては、顔だけやろ。
 自信ないねん、俺も。あのブスと同じで。アキちゃんが心底惚れるような、ほんまもんの美しい何かが、俺を押しのけるんやないかって思えて、いつも心配やねん。
「死んだ女、美人やったか」
 俺は覚悟して訊いた。近頃、アキちゃんは帰りが遅かった。それに、つれなかった。誰か他のと浮気しとったんかもしれへん。
「美人ていうか、まあ、年頃に見合った可愛い娘さんや」
 刑事は何となく言いにくそうやった。
「いまいちって事か」
「あんたな、そんな話して、仏さんに対して失礼やと思わへんのか。若い女の子なんやで、可哀想やろ」
「それは重要ポイントなんやで、刑事さん。アキちゃんは真性の面食いや。顔いい奴やなかったら勃たへん男やねん。俺が言うんやから間違いないで。その女、ブスなんやったら、アキちゃんの痴情がもつれる可能性はないわ。姫カットの写真見たんやろ。ああいうのでないと、あかんねんで」
 俺は分かってない刑事に親切に教えてやった。見当はずれの疑いをアキちゃんにかけるのはやめとけ。時間の無駄や。
「贅沢な話やなあ、まったくボンボンが……次から次へ」
 姫カットの顔でも思い出してんのか、刑事はちょっとひがんだような顔で、頭をぼりぼり掻いた。
「あんたは、その、本間さんの情人いろか。ツレやいうから友達かと思うたやないか」
「アキちゃんは俺とデキてるのが人にバレると恥ずかしいらしいねん。秘密にしといてや」
「秘密てな……あんたが自分で言うたんやで。痴情のもつれて言うならな、あんたかて捜査線上に出てくんのやで」
 呆れたみたいに、刑事は俺に説明していた。
「なんでや」
 俺は首をかしげた。なんで俺が顔も知らんような女を殺さなあかんねん。
「本間さんが二股かけてた女を、あんたが嫉妬して、痴情のもつれで殺ったんかもしれへんやろ」
 はあ、と俺は感心して言った。
「刑事ていうのは、想像力豊かなんやな。妄想の世界やで、それは。アキちゃんが万が一、ブスと俺とに二股かけてたとしてもやで、俺は今それを初めて知ったんや。でもその女、もう死んどるんやろ。どうやって俺が殺るねん」
「今初めて知った言うのんが、嘘かもしれへんやろ」
 刑事が冗談やなさそうな口調でそう言うんで、俺は可笑しなってきて、ちょっと笑った。
「嘘て。そんな嘘ついて何になんのん」
「罪を逃れられるかもしれへん」
 真面目に話してる刑事と、俺は笑いながら向き合った。
「罪て。可笑しいわ。もし俺がな、アキちゃんが二股かけてた誰かを嫉妬して殺すとしてやで、あんたらから逃げ隠れしようなんて思わへんわ。見つかりもせんやろ。俺が殺ったら、血一滴、骨一片も残らへん。丸ごと全部食うてまうやろうからな」
 俺の話が冗談と思えなかったみたいで、刑事は妙な顔してた。気味悪そうな。
「それにアキちゃんが、他のが好きやいうんやったら、その相手殺してもどうにもならへん。そうやろ、刑事さん。それって、もう、俺は振られたってことやんね」
「いや、そんなことないで。浮気する男も世の中にはいっぱいおるで」
 刑事は慌てたみたいに、俺を諭してきた。
「アキちゃんは、そんな男やないで。ふたりいっぺんに抱くような芸当はでけへん。不器用やねんもん。せやから他のと寝るときは、俺が要らんということなんやで。刑事さんは今、そんな可能性が、あると思うんか」
 なんや虚しくなってきて、俺は自分が持ってた荷物を見下ろした。
 はよ行かな、コーヒー冷めるやん。アキちゃんも、他の誰かと飯食うかもしれへんやん。
「もし、そうなんやったら、俺は相手を殺ったりせえへんよ。おとなしく消えるわ」
 死んだほうがましやで。
 アキちゃんが、お前が好きやという、あの目で、俺やない誰かを見るのを、端で指銜えて見てなあかんのやったら。俺は死ぬ。出会った頃なら、まだ我慢できたかもしれへんけど、今はもう無理やで。だってもう、半年も一緒にいたんや。アキちゃんいないと、俺はもうあかん。
 想像しただけで、俺は泣けてきた。ほんまに涙出てきたで。ぽたりと一粒落ちたのを見て、刑事は相当に慌てていた。
「な、泣かんといてくれ! なんやねん、いい年した男が、なんで泣いてんのや!」
「刑事さん、アキちゃんも俺も犯人やないで。そんな嫌な話せんといてくれ」
 ぽろぽろ涙出てきたんで、俺はさすがに、それを指で拭った。なんで泣いてんのやろ、俺。そんなにアキちゃん好きなんか。守屋のおっさんは、そんな俺を見て、じたんだ踏んで慌ててた。
「すまんすまん、念のため訊いただけや。本間さんは犯人やない。朝方、本人と話してそう思ったんや」
「なんやと、アキちゃんとこにも行ったんか。懲りんやつやな、もう殺さなあかん」
 涙出たまま、俺は凄んだ。若い方の刑事が、ひっと喉で呻いてたじろいでいた。もちろん俺は本気やったで。俺の目に、ただならぬ光があるように見えたんやったら、それは夏の眩しい日射しのせいやない。アキちゃん困らせるやつは、俺には本気で許されへんのや。
「あかんあかん、公務執行妨害。仕事やねんから、堪忍してくれ。泣かんでも本間さんは、二股かけたりしてへんよ。あんたをかばってた。昨夜のアリバイ訊いたとき、答えとうない言うてたわ」
 守屋のおっさんは、迫る俺を押し返そうというように、両手を物凄い勢いで、ぶんぶん振っていた。
 アキちゃんが俺をかばってくれてたって。ほんまかそれは。俺は、はっとして、たぶんちょっと赤くなってた。
 若干もじもじして、俺は上目遣いに訊ねた。
「嘘やん。俺と騎乗位でやった話をしたくなかっただけとちゃうんか」
「そらそんな話はしたくないやろな! 普通はな!」
 刑事は慌てて、そう言っていた。
 なんで。俺はみんなに教えたいくらいやで。
 アキちゃん俺と毎晩やってるねん。気持ちいいんやって。俺が好きやねん。俺、アキちゃんに愛されてる。お願いやから誰も邪魔せんといて。
「でもあれは、人をかばってる目やったで。刑事の勘や。せやからな、泣かんでええよ……」
 辟易へきえきしたふうに、守屋のおっさんは言い、俺の肩を叩くかどうしよか迷った顔して、結局叩かへんかった。
「お時間とらせて、すんませんでしたな。びびらせて悪かったけど、念のため訊いただけやしな。たぶんこれもまた事故やで。被害者は、野犬かなんかに、襲われたらしいわ。狂犬病やら流行ってるからな。気つけなあかんで」
 ズボンのポケットから取り出したハンカチで、汗をふきふき、守屋のおっさんは言った。
「暑いなあ、しかし。京都の夏やで」
 愚痴っぽいおっさんの口調が、いかにもこの土地の夏の雰囲気やった。年々暑くなってきてる気がする。空鍋で煎られるような暑さやと、昔からこの街の連中は、京都の暑気のことを言うてた。
 気の狂うような暑さやで。よそから来たモンには耐え難い。住み慣れたやつでも、毎年きつい。じりじり体の中から灼かれるような熱や。
 一年かけて溜まった障気が、ぐつぐつ飽和して煮えてんのかもしれへん。この時期の京都は魔をはら疫神えきしんを追いやるための祭りが目白押しや。ひと月かけて、いろんな神様が街を縦横に練り歩く。守護する都を浄めるためやで。
 外道にとっては厳しい夏や。弱っちいのは消え失せる。根性あるのでも逃げ失せる。居残れるのは、清廉潔白なのか、よっぽど根性汚い執念のあるやつだけやで。
 俺は例年なら、神戸に逃げてた。何か嫌やねん。鳴り物入りでコンチキチンと練り歩く神さんに、お前はどっちやと睨め付けられて、嫌な思いすんのはご免やで。追い出されるより自分で出ていくわ。
 胸くそ悪いくらい煮えたぎる京都より、神戸はええで。涼しいし。海もあるし。神戸牛も美味い。六甲あたりの避暑地でまったりひと夏過ごして、そろそろ秋や、都には美味いモンがあるやろなと懐かしくなるころに舞い戻れば、紅葉の頃合いや。夏の終わりに振られて寂しゅうなったやつを、先付け代わりに食うのも乙やし。
 でも今年は、そんな例年とは違う。
 俺はアキちゃんと京都にいて、祇園祭見て、貴船の川床で鮎食うねん。おかんも来るらしいで。邪魔やなあ。邪魔やなあて、向こうも言うてはったわ。それでも大文字の送り火眺める上席は、亨ちゃんの分もとってあるえ、って言うてた。
 去年までの、俺とは違うんや。幸せなんやで、今年は。アキちゃんのおかげで。
「なあ、刑事さん。犬が人食うなんて、おかしないか。普通、犬は人食うたりせえへんで」
 立ち去りがたいんか、そわそわ立っていた二人連れに、俺は話した。
 なんや、と訊ねる目で、守屋のおっさんは俺を見た。
「狂ってるんとちゃうか、その犬は。普通の犬やないで、たぶん。初めは大阪におったんやろ。インターネットにそう書いてあったで」
「狂犬病の話か? そうらしいな。京都まで拡がってきたんやろ」
 守屋のおっさんは、興味ないふうに相づち打ってきた。
「病気の犬が京都まで走ってきたんか。元気な病気の犬やなあ」
 首をひねる俺を、ふたりの刑事は、ぽかんと見ていた。
「そないに漫画みたいに考えんでも。走る以外にも感染経路があるんやろ」
「病気の犬が車乗ったり電車乗ったりして、京都まで来たんか。犬って電車乗ってええんか」
 俺が真面目に訊いてると、守屋は笑った。なんか変やったらしい。
「犬猫用の切符もあるんやで。せやけど、狂犬病の犬が切符買って電車乗りはせんわな。飼い犬が知らん間に感染しとって、それを連れて引っ越した奴でもおったんちゃうか。そんなとこやで」
 ふうん、と俺は答えた。
 病気は一種の魔物やで、刑事さん。疫神や。疫病えやみにかかると、人はおかしなるんやで。それは時々、外道もや。俺かて時には病気になるんやで。そしたら狂う。おとなしい無害な神から、荒ぶる神へ。精霊から悪魔へ。人を食らう鬼へ。
 噛みつくとうつる、水を恐れるようになる病は、何とも言えず、怪しいで。
 今の人はそれを、ワクチンで防ぐらしいけど、昔なら加持祈祷や、陰陽師呼んで来い言う話や。
 おかんはこの話、知ってるんかな。何か妙なもんが、京都に入ってきたで。
「おっさん。変な事故続くようやったらな、ここに電話してみ」
 ジーンズのケツに入れてたカードケースから、おかんに貰ってた名刺を出して、俺は守屋のおっさんに渡してやった。細長い朱色の紙に、白抜きで電話番号が入ってて、名前は、登与とよとだけ書いてあった。まるで、舞妓か芸子が配るやつみたいや。おかんも洒落っ気あるわ。まあ、あの人もある意味、踊るのが商売やからな。舞妓さんみたいなもんか。
「なんやこれ。祇園ぎおんのか」
 受け取ったあでやかな名刺の裏表を眺めて、守屋は不思議そうに訊いた。
「いいや。嵐山のやけど。その筋の人や。今ちょっと、小手調べになるようなヤマを探してはるねん。人食い犬、続くようなら、その人に相談してみ。何とかしてくれはるわ」
 保冷バッグに入れた荷物を肩に抱えなおして、俺はさあ行かなと思った。
 俺の取り越し苦労かもしれへんけど、アキちゃんの勘は当たるからなあ。アキちゃんずっと、狂犬病のニュースばっかり見てるで。なんか気になるんやろ。鈍いから自分で分かってないみたいやけど、端で見てる俺にはモロわかりやで。アキちゃんがそれに、何か感じてるらしいことが。
 せやけど、おかん通して客に金払わせへんかったら、商売にならへん。ボランティアやないからな、魔をはらうのも。それで食うてる血筋なんやから。
 警察のえらい人に客になってもらお。守屋のおっさんなら、正義感強くてアホそうやし、解決の方法ありそうやのに、無視して放置はでけへんやろ。もしもアキちゃんの勘が当たりで、人死にが続きでもしたら、必ず電話してくる。そして、おかんにカモられるんや。えげつないんやでえ、あの人。
 アキちゃんはボンボンで、その、えげつなさに欠ける。せやから、あんたがしっかりせなあかんえ、亨ちゃんて、おかんが言うてた。それって何。どういう意味。俺が一生アキちゃんを支えるってことかな。たまには、ええこと言うやん、おかん。
 刑事も殺すより、カモったほうがええしな。そのほうがきっと、こんなおっさん食うより美味いで。
「ほな俺行くわ。これから美大行って、アキちゃんと昼飯食うねん。お手製の愛情弁当やで。ええやろ」
「そんなん誰も訊いてへんやろ」
 がっくりとして、赤い名刺を胸の内ポケットに仕舞いながら、守屋のおっさんは言った。
「あんたが本間さんとなあ……。同居人やて聞いたときに、気づくべきやった。というか、気づいたけど、そう思いたなかったんやろなあ。まったく、俺の想像を裏切らん世の中や」
 くよくよ言いながら、おっさんは若いのを連れて、飲み屋のあるほうへ去っていった。まさか飲むわけやないやろ。聞き込みでもすんのかな。
 俺も美大に行くため、切符の自動販売機に向かった。
 その機械の足元に、猫がおった。黒くて太った、ブサイクな猫やねん。
 なんやねんこの猫、邪魔やなあと思いながら、俺が切符を買っていると、猫がとつぜん喋った。ような気がした。お邪魔虫はあんたやわ、と。
 俺はびっくりして、足元を見た。
 猫はぺろぺろ前足を舐めて、ブサイクな顔を丁寧に撫で回していた。子猫というには、もう、とうが立ってた。半年ぐらい前に生まれた子猫が、もう育ってもうたような感じやった。
 なんやねんお前、ブッサイクやなあと、俺は心で猫に話しかけた。生まれ変わっても、ブサイク直らへんかったんか、ブス。
 余計なお世話やわ。あんたこそ、まだ振られてへんのか。そろそろ振られそうなんやろ。うちかて半年しか保たへんかったんえ。
 耳の辺りを撫で回しながら、黒猫はそう話しかけてきた。
 俺は切符をとりながら、にやにやした。
 あいにく、前にも増してラブラブやで、俺とアキちゃんは。悔しいか、ブス。これから手弁当持って、ラブラブのランチタイムや。お前もいっしょに来るか。来たいんやったら、お前のぶんも、犬猫用の切符ていうのを買うてやってもええで。
 俺が余裕たっぷりに申し出てやると、余計なお世話やわと、また猫は答えた。ちょっと悔しそうやった。
 うちはここで、あの人が朝晩通るのを見てるだけでええの。それで分相応やと思えるようになったんや。こうして見てたら、いつかあの人の、お役に立てる日もあるかもしれへん。
 そういう猫に、健気やなあ、お前もと、俺は答えた。さすがの俺でも負けそうやで。あの、好みにうるさいアキちゃんが、姫カット・ウィズ・ブスについ絆されたのも、分かるような気がするわ。
 まあ、そんなら元気でやれよ。暑いんやから水飲めよ。腹減ったらマンションの下にでも来たらええわ。俺がエサやったるから。
 俺は親切心でそう言ってやったのに、猫はふふんと鼻持ちならんかった。あんたの情けなんか要らへんえ。あんたこそ、困ったらうちに相談してもええよ。先輩やから、恋の悩みくらい聞いたるえ。
 ほんまに、めっちゃ可愛くない猫やった。
 俺はケッと毒づいて、改札をくぐった。誰が先輩やねん。ちょっと先にアキちゃんと付き合うてただけやないか。キャリアやったら、お前にもう並んだで。あれから半年や。お前がアキちゃんと付き合ってたんも、たったの半年、それも時々泊まりに来てただけなんやろ。俺なんか、毎晩組んずほぐれつやってんで。
 お前に聞いてもらいたい恋の悩みなんかあるかい。
 内心そう喚いて、ずかずか歩きながら、俺はだんだん、しょんぼりしてきた。
 いや。あるわ。悩み。
 はああ、とため息つきながら、俺はちょうど出ていくところやった叡電に、急いで飛び乗った。
 アキちゃんに、俺の正体は蛇かもって、黙っといてもええかな。秘密にしといても、かまへんと思うか。そんなん騙しやろうか。ブスはどう思う。
 和風美人と見せかけて、実は死姦させとったというお前の根性も、大概やと思うけど、俺は俺で酷いよな。アキちゃん、蛇は気持ち悪いらしいで。そんなやつに、毎日毎晩、蛇と組んずほぐれつさせてる言うんは、ちょっとエグいかな。
 酷いんかもしれへん。けどな、それでも俺はアキちゃんが好きやねん。抱かれたいねん。
 ブスはなんで結局、別れることにしたんや。ブスやったからか。
 俺は真剣に問いかけていたけど、猫はもう答えへんかった。聞こえる距離から出てしもたんやろか。それともムカついて答えなかっただけか。
 叡電はがたごとと長閑に出町柳を出ていった。クーラー効いてて涼しかった。
 アキちゃん、もう昼飯食うてもうたかなと、俺はシートにひとりで沈み込みながら、そう思った。
 叡電で美大のある駅まで、十五分もかからへん。せやけど時計はもう、午後一時を回ってた。


--------------------------
←Web拍手です。グッジョブだったら押してネ♪

作者あてメッセージ送信
Name: e-mail:  

-Powered by HTML DWARF-